2024年3月の記事一覧

【校長ブログ】令和5年度修了式2

 今日は定時制でも修了式が執り行われました。

 今年度は、定時制の生徒の皆さんも成績優良者が例年よりも多く出て私としては大変うれしく感じてます。その反面、今年度は欠席の数が多く、出席日数で問題になってしまうケースもありました。

 最近、世の中的には、リモートで授業を受けた場合であっても、出席とみなすでも良いのではないかと議論をしているところですが、まだ、首都圏、埼玉県の公立高校では、リモートの授業で出席というスタイルまでは至ってないと心得ます。リアルな高校生活を送り、自由闊達な意見を交換しあう教室を構築しつつ、お互いに成長しあう空間となってほしいと考えます。とお伝えしました。

 そして、体調を崩すこともあるので、そういうことを想定して、「後〇時間は休める」なんて不埒な計算はせずに、毎日毎日の授業を大切にしていってくださいとお願いもしました。

 今日来てくれている生徒は、遅刻や欠席が少ないから修了式に参加しているので、実際には、修了式に来ていない生徒に対して申し上げる事ばかりなのですが、少なくても今日来てくれている生徒の皆さんは、4月からの新学期に遅刻欠席が無いように、重ねてお願いしてまいりました。

 定時制の生徒皆さん、明日からの春休みにご自身のやりたいことを見つけて、その未来に向かって、自分を自分で鼓舞していけるように4月からも頑張っていただきたいと思います。一年間お疲れ様でした。

 先生方もご指導ありがとうございました。

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【校長ブログ】令和5年度修了式

 今日は全日制、定時制ともに修了式を執り行います。

 今、ちょうど全日制は終了しました。今は各ホームルームにて成績表や色々な課題等をいただき、確認しているところです。私の修了式でのお話は、花巻東高校3年生の佐々木麟太郎さんのお話を例にとってみました。佐々木さんは高校野球の世界で通算140本もの本塁打記録をもち、甲子園でも活躍した高校生です。しかし、プロ野球や日本の有名な野球名門大学に進路は取りませんでした。彼はアメリカカルフォルニア州にあるスタンフォード大学への進学を決めたそうです。

 彼は高校時代にインタビューを受けると「野球は大好きであはあるけれど、野球だけの人生ではなく、長い人生の中で一生の喜びを味わいたい。そのためには社会貢献できる人間になりたいと感じてます。」と公言していたようです。

 そして、彼のモットーは「道なき道を進め!」なのだそうで、とてもかっこよいですね。と生徒の皆さんに伝えました。

 今年度は、成績に関して言えば、2年次にしても1年次にしても成績優良者は例年よりも増えております。しかしながら、きっとやる気の面でなかなか出来ない部分もあったりするのではないかと、私の失敗譚を交え、プライドやつまらない競争心を捨てて、素直に謙虚に勉強を進めていきましょう。とお伝えしました。私自身、中学校で少しばかり勉強が出来たので、高校ではかっこつけて、テスト対策なんてしないと出来ないことに理由をつけておりましたが、学校のテストが出来ないことは何よりも恥ずかしいことだと考えて、なりふり構わず、まずはテスト対策をしました。結果としては、超優等生になったわけではないけれど、教員としての「基礎の基礎の基礎の基礎(笑)」くらいにはなりましたとお話ししました。

 どの程度、響いてくれたかは分かりませんが、春休みに自分を見つめなおしていただく機会になればよいなぁと考えております。その後は、進路指導主任から現段階での大学受験の結果、生徒指導主任から「挨拶をしっかりとしよう!」という話があり、校歌を斉唱して終了しました。

 夕方から定時制の修了式を執り行います。

 

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【校長ブログ】地震

 本日は、栃木県や埼玉県において大きな地震が発生しました。急に緊急速報が携帯から鳴り響いたので「生徒をどのように帰宅させるか?」一瞬考えておりました。3・11を経験した者にとってみれば、すぐに保護者との連携を考えてしまうような一瞬でした。

 さて、地震は地下で起きる岩盤の「ずれ」により発生する現象と小学校で学びました。なぜこのような現象が起き るかと言えば、硬い物に何らかの力がかかり、それに耐えられなくなると、ひびが入りますが、地 下でも同じように、岩盤に力がかかっており、それに耐えられなくなったときに岩 盤がずれるとのことだった覚えがあります。

 では、どうして地下に力がかかっているかと言えば、中学校時代に「プレートテクトニクス理論」という説 で学びました。地球は、中心から、核(内核、外核)、マントル(下部マントル、上部マントル)、地殻という層構造に なっていると考えられ、このうちの「地殻」と上部マントルの地殻に近いところは硬い板状の 岩盤となっており、これを「プレート」と呼んでいて、地球の表面は十数枚のプレートに覆われているとのことでした。 プレートは、地球内部で対流しているマントルの上に乗っているため、プレートはごく わずかですが、少しずつ動いていて、プレート同士がぶつかったり、すれ違ったり、 片方のプレートがもう一方のプレートの下に沈み込んだりしています。この、プレート同士がぶ つかっている付近では強い力が働き、この力により地震が発生するわけという理論です。

 日本周辺では、海のプレートである太平洋プレート、フィリピン海プレートが、陸のプレート (北米プレートやユーラシアプレート)の方へ1年あたり数cm の速度で動いており、陸のプレー トの下に沈み込んでいます。このため、日本周辺では、複数のプレートによって複雑な力がかかっ ており、世界でも有数の地震多発地帯となっているということを学びました。

 3・11以外にも、新潟県中越地震、熊本地震などは記憶にあり、人が居住している付近で発生すると非常に大きな被害となることがあります。

「災害は忘れたころにやってくる!」蓋し箴言だと思います。皆さんも、試験対策と同様に災害対策を常日頃から考えてみてください。

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【校長ブログ】春のお彼岸

 「彼岸(ひがん)」とは、日本の「雑節」の一つで「お彼岸」とも呼ばれています。そもそもは、仏教に由来する行事とされております。
 彼岸は、二十四節気の「春分(3月21日頃)」と「秋分(9月23日頃)」を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間であり、1年で計14日もあるのですが、この期間に行う仏教の行事を「彼岸会(ひがんえ)」と呼び、一般的にはこの期間に「お墓参り」をすることが日本人の通例とされております。

 そして、彼岸の最初の日を「彼岸入り」や「お彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」や「お彼岸の明け」などと呼びます。なお、中日の「春分」は「春分の日」、「秋分」は「秋分の日」として国民の祝日となっておりますので、明日はお休みということになります。

 民俗学では、彼岸は元は日本古来の土俗的な太陽信仰や祖霊信仰が起源だろうと推定されており、民俗学者・五来重(ごらい しげる、1908~1993年)は「彼岸」という言葉の由来について、豊作を太陽に祈願する太陽信仰の言葉「日の願い」から「日願(ひがん)」となり、後に仏教用語の「彼岸」と結び付いたという説を唱えております。

 個人的には、民俗学の話より「ぼた餅」や「おはぎ」と呼ばれる食べ物が作られ、スーパーやコンビ二などで売られて、それを購入するのが楽しみです。又、日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。これは「冬の寒さ(残寒)や夏の暑さ(残暑)は彼岸の頃まで続き、彼岸を過ぎると和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味ですので、今日なども結構寒いですがこれからは 少しずつ暖かくなることを切望しております。なーんて言っているうちにすぐに「暑い。暑い。」というようになるのが昨今の日本の気象であると思います。)

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【校長ブログ】卒業式

 先週、越ヶ谷高校では全日制も定時制も、それぞれに卒業式を無事に終了しました。

 それぞれに卒業生たちは、爽やかに、晴れやかに、大人になった感じで 卒業されていきました。卒業式は、生徒の皆さんにとって、まさに高校生活の最後の花道であるように思いますが、校長にとっても、生徒の皆さんへの最終講義のつもりでおります。

 いつものように、その場の生徒の皆さんや保護者の方々、そして、先生方の雰囲気で、途中、話を変えてしまうことがありますので、原稿をママ掲載することをしません。言葉は生き物だと思っておりますので、生徒の皆さんのお顔を見て、しっかりと伝わっているかを確認しながら、お話させていただきますので、ややゆっくりのスピードで式辞をさせていただいております。

 もちろん、自分だけの感覚ではなく、ともに刺激しあった先生方のご労苦もリスペクトしております。そのような色々な3年間や4年間を詰め込んでのお話になりますので、式辞を読む手は震えていることが多いです。

 全日制では約10分、定時制には約7分の式辞でしたが、共通する内容は、今後の人生で行ってほしいこととして2点挙げました。

1点目は、「自分の夢を抱いて、心を震わす経験をたくさんする。」ということ。個人個人の経験では、限界もあるでしょうから、友人が心を震わす経験をしている時に立ち会っていてほしいと伝えました。

 また、「夢なんて、今の時代にもてることなんて難しいじゃないのか、と思う方もいらっしゃるでしょうけれど、夢は自分で探し続けて、行動をした者のみが得られるものと私は思っております。」と鼓舞しました。

 2点目は、「リスクの捉え方を間違わない。」ということと伝えました。高校生とても、それなりの経験はあります。その経験により「行動をして、失敗するリスク」もある程度、理解してしまい、「だから、自ら率先しては行動しない」という考え方も成り立つと方も出てくることは否めません。しかしながら、皆さんには、「何かに失敗するリスク」を考えるよりも「難しい挑戦に踏み込まないことで、成長できず、なりたい自分になれないというリスク」の方を恐れてほしいと思います。とお伝えしました。

 今後の人生は、熱心に、厳しくも暖かく、皆さんに伴走してしてくださった先生方が居なくなるので「なりたい自分になれる努力」を自らしてほしいという話をしました。

 翻って、私自身が「なりたい越ヶ谷高校」にしているのか?という自問をいつも胸に携えております。

 卒業生の皆さん、皆さんの今後の人生に幸多かれ!!

 

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【校長ブログ】日本文化の発展

 ここ数日、日本文化の象徴としての「アニメーション」に関わる巨頭の方々が逝去されました。鳥山明さんとTARAKOさんであることは、私が改めて申し上げるまでもないことですが、お二人の偉業を称えるとともにご冥福をお祈りするばかりです。

 私も高校時代に「ドクタースランプ・・」というアニメーションを始めてTVで見ました。理由は同級生のO君が廊下を「キーン」と言いながら走っていたので「大丈夫か?」と思ったことが始まりでした。O君は「ウンチャ(正確な発音は分かりません)」とも挨拶をしていたので、さらに「何を言っているのだ?」と思いまして、聞いたところ、件のアニメーションに行きつくわけです。
 見て思ったことは「面白い!」ということ、それから、アニメでは美男美女が多かったのですが、二頭身~五頭身くらいのキャラクターで親しみやすいということもありました。どういった最終回であったかは覚えておりませんが、その後「ドラゴンボール」というものにとって代わっていった思い出があります。

 「ちびまる子ちゃん」というのも主人公の小学生らしくないシニカルなつぶやきが面白いなと大学生くらいで見た気がします。(大学生ともなると、日曜日に「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」を見るのが一時、恥ずかしくなりましたので、ちょっとだけの拝見でしたが・・・。)

 この方々やアニメーションに関わる日本人の技術者のおかげで「ジャパニメーション」なる文化が隆盛し、海外の方々が日本を見直すといったことになったのだと思います。  

 現在、「ゴジラ」や宮崎アニメが本家のアカデミー賞にノミネートされ、なおかつ本命視されているのもこういう歴史があるのだろうなと(あんまりアニメを知らない私でも)感慨に耽ります。

 こういった文化は、どのような未来になっても残っていくお仕事なのかもしれませんね。

 

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【校長ブログ】国際女性の日

 1904年(明治37年)の今日、アメリカ・ニューヨークで、女性労働者が参政権を求めて集会を開いたことにより、今日は、国際的な婦人解放の記念日なのだそうです。英語表記は「International Women's Day:IWD」、日本語では「国際婦人デー」「国際女性の日」などとも呼ばれているそうです。もっと細かいニュアンスで言うと「女性の政治的自由と平等のためにたたかう記念の日」なのだそうです。

 日本でも、1923年(大正12年)、社会主義婦人団体・赤瀾会(せきらんかい)が中心となり、種蒔き社の後援で、東京・神田のキリスト教青年会館で婦人の政治的・社会的・経済的自由を訴える演説会が開催されたことを皮切りに女性の地位向上を考えていくことの大事さを継続的に現在まで訴えております。

 先日、日本テレビのドラマで女性記者たちの活躍、というか昭和・平成・令和の世代の働く女性たちが勝ちとってきた歴史の内容を放送しておりました。

 「夜討ち朝駆け」の記者の世界では女性が働くことは非常に難しいだろうと、私自身も学生時代に考えていたことを認めます。私は文学部出身の身です。女子校出身者が多く在籍しており、特に、県内のU女子校やK女子校出身の方が多くおりました。その中で、K女子校のHさんには全くかなわないな(学問をしていく上で)と感じておりました。しかし、教授の方からも「大丈夫、Hさんは女子だから、君の方が研究を続けられるよ。」といった現在では「〇〇ハラ」な言葉をいただき、虚しい慰められ方をされたことを覚えております。(Hさんは発奮して、M企業系のシンクタンクに入社され、現在でも辣腕を揮っていらっしゃいます。)今、私自身、前述した労働条件の方を改善していくことが大事なのだと教えられております。

 越高生の女子も将来、なりたい自分になるためのご努力を現在されていると思います。今日は、国際連合事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっております。皆さんの世代が、さらに婦人の解放と世界平和を目指す国際的な行動をして、世界中で様々ご活躍をされることを私も祈っております。

 なお、3月8日は「ミモザの日」とも呼ばれ、黄色いミモザの花が、この運動のシンボルとして親しまれているようです。今日のニュースの女子アナ(こういう言い方もどうかね?と感じる時代ですね。)の多くは、黄色い洋服を着てらっしゃいました。関係があるのか分かりませんが・・・。

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【校長ブログ】花粉症記念日

 インターネット上では「3月7日は花粉症記念日」という情報を多数確認することができますが、制定した組織・団体、その目的などは不明であるため本当に今日が「花粉症記念日」なのかは定かではありません。
 花粉症とは、食物アレルギーやアトピー性皮膚炎などと同じ「I型アレルギー」に分類される疾患の一つであります。植物の花粉が、鼻や目などの粘膜に接触することによって引き起こされ、発作性反復性のくしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみなどの一連の症状が特徴的な症候群のことです。

 花粉の飛散時期は、一般的にスギが2~4月、ヒノキが3~5月、ブタクサが8~10月とされ、この時期に花粉症に悩まされる人が多いのも事実であります。

 ご多分に漏れず、私は花粉症です。しかも中学校3年生の時から花粉症を発症しております。私が中学校時代には、花粉症という言葉はありません。しかし、その頃から、2月くらいから目がかゆくなって、場合によっては鼻血が出てしまって夜は寝つけない、息は出来ないといった感じであり、少々鬱っぽくなってました。

 この鬱っぽい症状というのも、立派な花粉症の症状らしいので、今振り返ってみると花粉症だったのではないかと自己診断しております。そして、検査が出来るようになった近年では、私はほとんどの花粉に対してアレルギーをもっているらしいので、コロナ前から、年中マスクをするといった窮境に陥っております。

 コロナ前は、マスクをずっとしていると奇異な感じで見られておりました。コロナは、現在でもとても大変な病気ではあるものの、大ぴらにマスクをしていても変な風には取られないところだけは不謹慎ですが嬉しくなりました。

 私は、フェキソフェナジン(ジェネリック薬品)の花粉症薬を使用しております。また、最近は脊椎観狭窄症で痛み止めの薬も併用しております。大の欠点は、非常に睡魔に襲われるということです。受験生でなくてよかったと思いつつ、国公立後期試験まで、頑張っている生徒に対して申し訳ないと感じております。

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【校長ブログ】世界一周

 1967年(昭和42年)の今日、日本航空は、世界一周西回り路線が営業を開始したそうです。そして、記念すべき第1便は、12時30分に、今日と同じような小雨の羽田空港を出発したとのことでした。

 それまでは日米航空協定により、日本の航空会社は世界一周路線を持てなかったそうですが、日本航空の世界一周は、アジアの航空会社としても初の世界一周路線だったということです。また、日本の航空会社として唯一の世界一周路線だったともいわれております。

 1972年(昭和47年)に廃止されるまでの5年間、東京→香港→バンコク→ニューデリー→テヘラン→カイロ→ローマ→フランクフルト(またはパリ)→ロンドン→ニューヨーク→サンフランシスコ→ホノルル→東京という路線で運行していたとのことです。廃止された理由は大西洋路線が不振だったことに加え、1972年に日本航空が連続航空事故を引き起こし、国際路線用のDC-8型機を3機失い、運航可能な機材が減少したからだったそうです。

 現在、日本に世界一周路線は存在しないのですが、乗り継ぎ路線での世界一周は可能であるそうです。しかし、どこを調べても、大体お幾らぐらいコストがかかるのか?書いてあるものは見当たらず、多分相当高価なのでしょうと感じております。貨物便などでは、地球の裏側に位置する組み合わせで東回りと西回り路線をそれぞれ別に運航しているようです。なお、世界一周便は空港での行先ボードで「Around the World」と表示されるとのことですから、どこかの歌詞にて見かけたことがあると思っております。

 皆さんも大学に進学された場合、現在は、海外留学(短期を含む)を必須にする大学が増えてきております。「世界に羽ばたく越高生!」として、ご活躍を期待しております。


 

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【校長ブログ】バウムクーヘンの日

 高校入試も終え(越ヶ谷高校では、全日制も定時制も追検査を実施することがないため)両課程とも、現在は学年末考査の最中です。

 さて、久しぶりのブログとなります。高校入試の際には、ホームページのアクセス数が非常に多くなるため、何かに作用してしまってはいけないとのことで、こう言ったブログはいじらないのが通例となっております。

 ブログは更新し続けておりませんと、何となく、私自身の中では、「本当にブログといったものを続けてよいのか?」などの「そもそも問題」に行きついてしまって「学校ホームページとはなんぞや?」とも考えを巡らせてしまいます。

 私自身は、このブログについては、校長からの越高生やその保護者、また、越高への受検を考えてくださっている中学生、そして、保護者の方、また、中学校の先生方、塾・予備校の先生方に対するメッセージとして、あげておりますので少なくても3月までは、今のスタイルで、今日の記念日的なことを題材に語り掛ける感じでまいります。

 さて、1919年(大正8年)の今日、広島県物産陳列館(後の原爆ドーム)で行われたドイツ俘虜展示即売会で、洋菓子で有名なドイツのユーハイム社のカール・ユーハイムがドイツの伝統菓子「バウムクーヘン」を出品しました。これが日本におけるバウムクーヘンの始まりであり、記念日となったようです。個人的にもバウムクーヘンは大変美味しいお菓子と思い、値が張りますので、結婚式の引き出物で頂戴すると大変うれしく感じます。その製法は、結構大変なようで、職人は、精魂詰める作業とオーブンの直火の熱を正面で胸に受けるため、ドイツでは「バウムクーヘン焼きは長生きしない」と言われているようです。(ですから、本場のドイツでも実際には、あまり、普通のご家庭では食されてないとも言われております。)

 そういう職人技によって、美味しいお菓子となっております。入試が終わった中学生は、バウムクーヘンでも食して、合格のお祝いをして、来るべき高校生活について、夢を馳せていてくださいね。

 

 

 

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