2024年4月の記事一覧

【校長ブログ】リラックスタイム

 今日は、全日制、定時制ともに離任式が挙行されます。久しぶりに会う越高生は先生方にはどのように映るのか?楽しみであります。

 さて、今日は4月26日であり、「よ(4)い風呂(26)」と読む語呂合わせから「お風呂の日」とされているようです。なんでも、2012年(平成24年)に公開され大ヒットを記録した映画『テルマエ・ロマエ』、その続編『テルマエ・ロマエⅡ』を手がけた「テルマエ・ロマエⅡ」もこの日に公開されたそうです。

 越高生には少し古いと感じるかもしれませんが、『テルマエ・ロマエ』は古代ローマの浴場設計技師が現代日本にタイムスリップするSF(すごい風呂)映画で、「風呂」映画史上最高傑作とも称されております。

 『テルマエ・ロマエ』は、女性漫画家・随筆家のヤマザキマリによる漫画作品で、KADOKAWA(エンターブレインブランド)発行の月刊漫画雑誌『コミックビーム』にて2008年(平成20年)2月号から2013年(平成25年)4月号まで連載されました。

 古代ローマ時代の浴場と、現代日本の風呂をテーマとしたコメディで、入浴文化という共通のキーワードを軸に、現代日本にタイムスリップした古代ローマ人の浴場設計技師ルシウス・モデストゥスが、日本の風呂文化にカルチャーショックを覚え、大真面目なリアクションをすることによる笑いを描いています。題名の「テルマエ・ロマエ」は、ラテン語で「ローマの浴場」という意味です。何度観ても大笑いできます。

 私の高校(中学校)時代は部活動などの時間で忙しくて、入浴にかける時間は冬でも約10分程度で、ゆっくりと湯船に浸かるなんてことは出来ませんでした。しかし、最近はゆっくりとリラックスタイムになっております。下手をすれば、お風呂で寝てしまうこともあります。(それはそれで老齢には危ないのですが・・・。)

 越高生も、日々忙しい毎日を送っているとは思いますが、今日の先生方の離任式での話を伺って、又、GWですので、少しリラックスしてお風呂タイムを過ごしてみてはいかがでしょう。

 

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【校長ブログ】ファーストペンギン

 毎年、この日の前後にアデリーペンギンがアメリカの南極基地に現れたことを祝うことから、今日は「ペンギンの日」としてされているようです。記念日の英語表記は「World Penguin Day」。
 ペンギンとは、鳥綱ペンギン目に属する種の総称で、南半球の広い緯度範囲に生息する海鳥です。主に南極大陸で繁殖するのはコウテイペンギンとアデリーペンギンの2種のみが正しい(?)ペンギンなのだそうです。

 ペンギンは空を飛ぶことはできませんが、泳ぐのは得意で、器用に海を泳ぎ回ってオキアミなどの小さな獲物を追いかけます。その海中を自在に泳ぎ回る様子は「水中を飛ぶ」とも形容されることがあります。ペンギンは、現在、6属19種だそうですが、化石から、かつてはもっと多くの種類が存在したことが確認されているようです。属や種を特徴付けるのは頭部周辺で、それぞれ特徴的な形態をおります。現生の最大種はコウテイペンギンで体長100~130cmに達するようです。逆に、最小種はコガタペンギンで体長は約40cmだそうです。

 また、ペンギンという名前はスペイン語に由来する説があるそうで「ふとっちょ」という意味のスペイン語がルーツなのではないかと言われておるようです。(ちょっと可哀想ですね。)

 コウテイペンギンは、この時期に海を離れて繁殖地にあたる氷原へと向かいます。海岸から50~160kmも離れた内陸部へ隊列を組んで移動するそうです。その時、1列になって進むのは、クレバスや穴など、氷原に隠された危険を避けるためだと考えられております。集団で餌を求めて海に飛び込む際に、最初に飛び込むペンギンは「ファーストペンギン」と呼ばれてます。少し前にTVドラマでこの表題のドラマが放送されておりましたが「リスクのある新分野に最初に挑戦する人」のことを指す意味でこの「ファーストペンギン」と名付けておりました。皆さんの時代はVUCAと言われております。ファーストペンギンになる気持ちで生き抜いてほしいと思います。

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【校長ブログ】植物学の日

 1862年(文久2年)の今日、植物学者の牧野富太郎(まきの とみたろう、1862~1957年)博士が土佐国佐川村(現:高知県高岡郡佐川町)で生まれたのだそうです。そこで、今日は「植物学の日」という記念日になっています。
 牧野博士の家は、雑貨業と酒造業を営む裕福な家だったそうです。そして、彼は幼少のころから植物に興味を示していたようですが、学歴的には小学校中退で、その後、東京大学の研究室入りを果たしますが、高学歴の学者たちからは攻撃をされたとのことです。

 牧野博士は、「日本の植物学の父」といわれ、独学で植物分類学を研究し、94歳でこの世を去るまでの生涯を植物研究に費やしました。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として現在も残っております。

 また、新種・変種約2,500種を発見・命名した結果、高学歴の学者たちの攻撃もあったようですが、小学校中退でありながら理学博士の学位も得ました。生地の佐川町では、牧野博士を主人公にした連続テレビ小説の誘致活動が行われ、昨年度前期の連続テレビ小説「らんまん」の主人公・槙野万太郎のモデルとなることが決定し、神木隆之介が演じました。

 「日本の植物学の父」の呼び名で一般に広く知られ、日本各地に牧野の名前を冠した顕彰施設が存在するようです。牧野博士は、多数の新種を発見し、命名も行った近代植物分類学の権威ともなりました。権威がすべてにおいて良いとは思っておりませんが、学歴のない牧野博士が、東京大学研究室で独自の方法で植物学をまとめていったことについて快哉を叫びたくなることもあります。

 さて、皆さんが夢見る職業ってどのようなものでしょう?本当は、皆さんがやりたいことをやりたいだけするためなら、大学などにはいかなくても良いのですけど、やはり、学問を究めるためには、大学という場所はとても大事なところです。とはいえ、〇〇大学に入らないと絶対に研究が出来ないわけでもありません。最高学年になっている方は、そのことは十分に理解したうえで、大学選びをしてみてください。

 ※私自身の学部選択は、ちょうど高校3年生のGW中でした。社会科学系の学部(家族社会学の本を読んで面白いと思ったため)、法学部政治学科(「雄弁会」という本を読んだため)、一瞬だけ理学部生物系(DNAについての本を読んだため)と考えていく中、結局、自分は本が好きなんだと気づき、文学部になりました。そろそろGWです。自分の好きな事、得意な事にフォーカスして、針路(進路)を定めていってみても良いと思います。

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【校長ブログ】陸の王者

 1871年(明治4年)のこの日、「慶應義塾大学」の前身である「慶應義塾」が芝の新銀座(現在の港区浜松町)から現在本部のある三田(港区三田)に移転されました。この日は「慶應義塾大学」の開校記念日としておりましたが、サイトを見ると「開校記念日 ただし授業あり」となっておりました。
 1858年(安政5年)10月、中津藩(現在の大分県中津市)の藩士である福澤諭吉(1835~1901年)が藩命により江戸築地鉄砲洲(現在の東京都中央区明石町)の中津藩中屋敷内に「蘭学塾」を開塾したことが、現在の「慶應義塾大学」の創立のもととなっております。

 1868年(慶應4年/明治元年)4月、塾が芝の新銀座(現在の港区浜松町)に移転され、その時の年号をとって「慶應義塾」と命名されました。1871年(明治4年)3月、現在本部のある三田(港区三田)の地に移転され、この移転された日を太陽暦に換算して、4月23日が開校記念日となったとされております。その後、1920年(大正9年)4月、大学令による日本最初の私立大学(旧制大学)として新発足され、文学・経済学・法学・医学の4学部から成る総合大学となり、ちょっと前に薬学部も従えて更に拡充された総合大学となっております。直近では、2008年(平成20年)11月8日、天皇・皇后両陛下のご臨席のもと、日吉キャンパス陸上競技場において創立150年記念式典が挙行されました。

 越高は来年度に100周年を迎えますが、慶應義塾は、早くも1958年(昭和33年)4月23日、慶應義塾創立100年記念事業を挙行したようです。

 慶應義塾大学の応援歌の歌詞に「陸の王者(ほんとうの発音は「りくのおうしゃ」なのだそうです。)とあり、「慶應は陸の王者??なんで?」って思うのですが、東京六大学の六(りく)の中のトップという気概を込めて「六(りく)の王者」なのだそうです。「リク(リクルート)の王者」=就職口が良いなどとも学生たちは話しているとかいう噂もあるようです。又、水泳競技などの応援では「水の王者」とか替え歌にするそうで面白いですね。

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【校長ブログ】地球の日(アース・デー)

 今日は「地球の日」なのだそうです。これは、1970年(昭和45年)当時、アメリカの上院議員であったゲイロード・ネルソンが環境問題についての討論集会を開催することを呼びかけ、「アースデー」(Earth Day)を提唱したということから始まったそうです。

 この時期は、アメリカでも試験週間でも大学の対抗戦には被ってないことから、地球のことについて、大学生が真剣に考えてみようではないかとのことで、スタンフォード大学の大学院生だったデニス・ヘイズが、大学生の統括を買って出て行ったようです。地球環境破壊に抗議する運動として、全米で2000万人が参加したとされ、アメリカの環境保護運動の先駆けとなったとも言われているようです。

 以降、世界的な規模に拡大し、1970年から1990年までは10年に1度実施されていたそうですが、1991年(平成3年)からは毎年開催され、この日を前後に世界各地で様々なイベントが開かれているとのことです。日本でも地球環境の保護を訴え、活動する日として、自然保護のシンポジウムなどの催しが各地で開かれているようです。私自身は、よくこの活動を存じ上げてはおりませんが、FMラジオなどでは何回か「アース・デー」の話は聞いております。

 2009年(平成21年)の国連総会で、この日を「国際母なる地球デー」(International Mother Earth Day)に制定し、翌2010年から実施しているそうです。日本語では「国際マザーアース・デー」とも表記される。「母なる地球」は多くの国と地域で共通の表現であり、それは人間、他の生き物、私たちが住む惑星の間に存在する相互依存を反映しております。地球は私たちの生まれ故郷であるのですから、現在および将来の世代の経済的・社会的・環境的ニーズの間で公正なバランスを達成するためには、自然と地球との調和を促進することが必要であることは言うまでもありません。

 「VUCAな時代」と言われている今、地球環境問題はさらに大事な問題として、クローズアップされております。皆さんも大学生になった場合、環境学を学んでいく人だけではなく、こういう問題について、自分なりの考えを求められることもあるかもしれません。

 いきおい、地球全体のことを考えるのは荷が重いかもしれません。まずは、越ヶ谷高校内の環境整備をしっかりとやってまいりましょう。又は、もっと、身近な意味で、お家のお掃除のお手伝いをして環境問題に触れていくことも出来るとよろしいのでは?と考えます。

 

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【校長ブログ】はじめの一歩

 1800年(寛政12年)の今日、伊能忠敬(いのう ただたか、1745~1818年)が蝦夷地の測量に出発したと言われております。
 その後、日本国中を、16年にわたって測量をして歩き、本格的な日本全土の実測地図である『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにしました。「輿地(よち)」とは大地や地球、全世界のことを意味し、この地図は、江戸幕府の事業として測量・作成が行われたもので、その中心となって製作した彼の名前から「伊能図(いのうず)」とも称されております。

  実際には、地図が完成したのは伊能の死後、1821年(文政4年)のことだそうです。縮尺36,000分の1の大図、216,000分の1の中図、432,000分の1の小図があり、大図は214枚、中図は8枚、小図は3枚で測量範囲をカバーしております。この他に特別大図や特別小図、特別地域図などといった特殊な地図も存在するそうです。そのすべては、手書きの彩色地図であるようです。伊能は上総国(現:千葉県)出身の商人で、そこで造り酒屋を営み立派に繁盛させていたが、50歳の時に家督を長男に譲り、江戸へ出て測量・天文観測などを学んで、その後、56歳の時に上記の測量を開始したそうです。幕府からの資金援助はあまりなく、測量器具や旅の費用のほとんどを自費で賄い計測を行ったとのことです。

 忠敬の江戸での師匠は天文学者高橋至時(たかはしよしとき)でした。高橋至時は天文学と暦学を学んだ幕府の天文方に属する学者で、寛政暦を完成させた人物です。この年、伊能忠敬は当時50歳、高橋至時は31歳ですので19歳も年下の若者に学んだということです。商売の世界で、それなりの成功をおさめ、社会的地位も高かった伊能忠敬が年下の若者に教えを請うことにはさまざまな葛藤もあったのではないかと想像できます。しかし、忠敬の学びへの情熱は、それを上回っていたと思われます。

 翻って、私自身が出来るかと言えば、年下の方に教わるというのには全くこだわりが無いので、大丈夫ですが、心身ともに充実させていられるかと言えば不安があります。越高生の皆さんは、まだまだ若い年齢です。心身が充実している時に、何か自分のライフワークを見つけましょう。

 私も、寄る年波に負けないようには気持ちの上でしてまいります。

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【校長ブログ】クイーン(Queen)の日

 1975年(昭和50年)今日、イギリスのロックバンド「クイーン」が来日を果たした。そのことを記念して、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されたということです。

 皆さんの世代には「クイーン」を全く知らないという方もいると思うので解説します。クイーンは、イギリス・ロンドン出身の男性4人組のロックバンドで、英公式サイトでは、4人が揃った1971年(昭和46年)を正式なバンド結成の年としております。

 「ボヘミアン・ラプソディ」「キラー・クイーン」「伝説のチャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」など、数々の名曲を生み出し、日本をはじめ、世界中で最も成功したバンドの一つであり、音楽を聴けば「聴いたことはある」と思うのではないかと思えるほど有名な楽曲を製作しております。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて第3位にもなっております。2001年(平成13年)には、マイケル・ジャクソン、エアロスミスらと共に、ロックへ与えた影響を称える賞「ロックの殿堂」入りも果たしております。

 公式記録としては、アルバムとシングルのセールスで世界第6位の3.5億枚を超え、「世界で最も売れたアーティスト」にも名を連ねているようです。

 クイーンが初来日した頃、私は小学生でしたが、小学6年生になって、所謂、洋楽というジャンルにはまるようになって、英語を学びたいな、そして、実際の歌詞を理解してみたいと思って、英語を学びました。実際「ボヘミアン・ラプソディ」などの歌詞は何を言っているんだろうという奇妙キテレツな歌詞でした。(自分で訳したので、もっと良い意味なのかもしれません)

 皆さんもこういったことから英語を学んでみようとか思ってみるのも一興かと思います。越高生全員で「ウィ・ウィル・ロック・ユー」とか合唱出来たら鳥肌ものだと思います。

 

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【校長ブログ】ジャッキー・ロビンソンの日

 1947年(昭和22年)の今日、ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson、1919~1972年)がメジャーリーグ初の黒人選手として当時のブルックリン・ドジャースからデビューしたそうです。

 ロビンソンは、幼少期は苦労したようです。なぜなら、彼の父親は黒人であったため、当時、奴隷として扱われていたので、家計が苦しく、又、その父親自体、蒸発してしまって、彼はスポーツを元手に色々な高校から推薦奨学金をもらっての進学だったとのことです。大学はUCLAだったようですが、卒業しても黒人はまともな職業には就けないとの思いから、中途退学してスポーツに関する仕事に就きました。

 しかし、彼の才能を見抜いていた当時のドジャースの監督からプロ野球に入団するように説得され、入団に至ったとのことです。入団にも色々な障壁があり、一つ一つ乗り越えていたことが自伝には記されております。この記念日は「人種の壁」を破ったことを記念し、英語表記は「Jackie Robinson Day」とされてします。

 ロビンソンはデビュー1年目から実力を発揮し、一塁手として打率.297・12本塁打・48打点・29盗塁という成績を残してチームの優勝にも貢献し、同年より制定された新人王を受賞しました。こうして、彼は後に続く黒人選手の道すじをつくったわけですが、日本人とて、昔のアメリカ人からは、「イエロー」と呼ばれ、アジアの小さな国の小さな(身長の低い)人だと思われていたのですから、今となっては昔の話です。

 メジャーリーグでは今でも「新人賞」は「ジャッキー・ロビンソン賞」とも言われているようです。日本人では、皆さんの世代ではご存じないでしょうけど、野茂英雄選手、イチロー選手、佐々木主浩選手などが取られております。もちろん、大谷選手も受賞しておりますが、ゴジラ松井選手はやはり、日本人ばかり受賞させるのは?という偏見から受賞できなかったとも言われております。

 色々な道には、先達がいらっしゃって、道すじをつくってくれております。皆さんの中から、まだ、誰も通ったことのない道を開拓する勇者が現れてくれると凄いなと思います。

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【校長ブログ】世界初の宇宙旅行

 1961年(昭和36年)のこの日、世界初の有人宇宙衛星船・ソビエト連邦のヴォストーク1号が打ち上げられたそうです。この歴史的な出来事は、全人類の宇宙への第一歩となりました。この偉業を記念して、国連が国際デーの一つとして制定したようです。

 英語表記は「International Day of Human Space Flight」で、日本語では「国際有人宇宙飛行デー」と翻訳されております。2011年(平成23年)4月の国連総会で記念日とすることが採択されたそうです。持続可能な開発の目標を達成し、国家と人々の幸福を増進し、平和目的のために宇宙を維持することを目的ともしているそうです。

 宇宙船の「ヴォストーク(Восток)」という名前は、ロシア語で「東」を意味する一般名詞なのだそうです。ヴォストーク1号は地球を一周し、無事に帰還し、見事に人類初の有人宇宙飛行に成功しました。打ち上げから帰還までは108分だったそうで、搭乗したユーリイ・ガガーリン少佐(1934~1968年)の有名な言葉「地球は青かった」は今でも歴史的な言葉としてCMなどでも扱われております。実は、ガガーリンの言葉とされる「地球は青かった」は、日本においてのみ有名で、また原文の意味とは多少異なり、直訳だと「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」になるのだそうです。もう一つガガーリンの地球周回中の言葉とされる「ここに神は見当たらない」の方が世界的には有名なのだそうですが、私は「地球は青かった」以外を知りませんでした。

 今では、民間人でさえも宇宙旅行が出来るようになりました。(もちろん、高額ですが・・)皆さんが50代になる頃にはひょっとすると宇宙旅行が身近なものになるかもしれません。皆さんの中で宇宙工学の分野に進んでその力になる人財が出てきても面白いとも思います。
 世界にはばたけ!越高生! 宇宙にはばたけ!越高生!

 

 

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【校長ブログ】対面式並びにタンポポ広場

 昨夜は、定時制の新入生歓迎行事である「対面式」が実施されました。

 全日制との共有建物の体育館、時間のないところを工夫して、実行委員、生徒会役員が飾りつけをしてくれました。そして、40人の新入生を暖かく迎い入れ、各部活動・生徒会の紹介、先生方の紹介、そして、1年生の担任等にはリアル・インタビューなども催してくださり、越高定時制の雰囲気が理解できたと思いました。

 会の終わりには、桜の花をあしらった紙吹雪を新入生たちに振りかけ、今後の生活が楽しくなるように念じておりました。その後、生徒の皆さんで、花吹雪を清掃し、しっかりと体育館の復元をされていたことも素晴らしいと感心した次第であります。

 全日制では、今日一日をかけて「タンポポ広場」という名称の行事を実施しました。一般的な高校では、新入生歓迎会とかいう名称で実施されることが多いのですが、越高全日制では「タンポポ・・」と呼びます。なんでも、越ヶ谷高校が出来る前のこの地は、植物研究所があったらしく、現在、グランドにあたる場所は「タンポポ」の研究場所であったそうです。

 TRF「EZ DO  DANCE」の曲に合わせて午前中いっぱい踊り、午後は部活動などの紹介をするという形で実施されました。

 今日で全日制・定時制ともに1年生は5日目の越高生活を送り終えます。今年は暦がストレートに進んでいっておりますので、新入生は疲れがたまっているかもしれませんが、明日は金曜日、もう一日乗り切って、土曜・日曜は自分の時間となりますので頑張りましょう!!

 

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