2024年5月の記事一覧

【校長ブログ】ゴミ0

 今日は文字通り「ゴミ0」(5月30日)の日なのだそうです。

 もともと1975年(昭和50年)に愛知県豊橋市で市民運動として「530(ごみゼロ)運動」が始まったことを契機に、この運動が各地に広がったらしいのです。10年後の1985年(昭和60年)7月に運動10周年を記念し全国大会が開かれた際、毎年5月30日を「530(ごみゼロ)の日」とする宣言がされたということでオーソライズされたそうです。

 1982年(昭和57年)に関東知事会の空き缶等問題推進委員会(現:関東甲信越静環境美化推進協議会(関東11都県))でも5月30日を語呂合わせで「ごみゼロの日」(関東地方環境美化運動の日)とし、「ごみゼロ」を推進するために「お掃除の日」を制定したそうでもあります。

 最近では、環境美化運動の一環として「ごみゼロの日」は全国的に広まり、1993年(平成5年)に厚生省(現:厚生労働省)がこの日を初日とする5月30日~6月5日を「ごみ減量化推進週間」に制定したのだそうです。この期間は「ごみ散乱防止強調週間」に定められています。

 自分を振り返ってみると、ごみを定期的に捨てる習慣は身についていると思っておりますが、道具等を片付ける習慣が身についておりません。例えば、小学校1年生の時からのテストをいまだに保管しております。父方の実家は素封家で、沢山の蔵があり、その一つの蔵に、私の小学校、中学校、高校の試験、成績表、賞状の類はすべて保管しておりますという感じです。別に特段、成績が良いという自慢で保管しているわけではなく、何となく捨てられないというだけです。

 父親の実家の惣領が変わってしまったら、どうしたらよいのだろうとは思ってはおります。越高生の皆さんは電子化してタブレットの中にでも記録が残っている人はいるかもしれませんね。(私は、見返すことは無いので、電子化する予定は全くありません・・・。)

 私の場合は、終活をしていくときに、本当に困ってしまうことは必定です。越高生の皆さんはそういった大人にはならないように思い切りよく捨てられる決断力を養ってください。

 蛇足ですが、身の回りの清掃はちゃんとやります(笑) これは言い訳ですが、食事の際などに出るごみはしっかりと廃棄しております。

 

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【校長ブログ】エベレスト登頂

 1953年(昭和28年)の今日、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリー(1919~2008年)とチベット人シェルパのテンジン・ノルゲイ(1914~1986年)が、世界で初めて世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)の登頂に成功したとのことで「エベレスト登頂記念日」とされております。

 関連する記念日として、1970年(昭和45年)5月11日に登山家・松浦輝夫(まつうら てるお、1934~2015年)と冒険家・植村直己(うえむら なおみ、1941~1984年)が日本人として初めてエベレスト登頂に成功したことに由来して、5月11日は「エベレスト日本人初登頂記念日」となっているそうです。

 さて、エベレストの標高についてですが、エベレストの標高については諸説あり、1954年(昭和29年)にインド測量局が周辺12ヵ所で測定し、その結果を平均して得られた8848mという数値が現在でも一般的となっているのだそうです。近年、全地球測位システム(GPS)を使用した結果、1999年(平成11年)にアメリカの調査団が8850m、2005年(平成17年)に中国の政府機関が8844mと発表しているデータもあります。

 又、名前の由来については、英名の「エベレスト」(Everest)は、ヒマラヤ山脈を測量した時にインド測量局の長官であったイギリスの探険家・地理学者であるジョージ・エベレスト(George Everest、1790~1866年)の名前に由来するのだそうで、チベット名は「チョモランマ」(Chomo Langma)で、チベット語で「大地の母」という意味であるそうです。とにもかくにも、現在、世界で最高峰はエベレストであることは定説であります。第2位はK2ですが、皆さんはご存じでしょうか?昔に、現在、都知事選挙に名乗りを上げた政治家の方が「第2位では駄目なんでしょうか?」という名セリフをなされましたが、こういう例を挙げると、第2位はあんまり知られないということもあります。

 越高の皆さんには、自分における第1位をもぎ取ってもらいたいと考えます。例えば、世間では〇〇大学が第1位かもしれませんが、ご自分にとっての第1位はそれぞれに違うものであると思っています。さらに言えば、大学合格が第1位だとは、全員が全員思っているとは考えられません。

 皆さんのそれぞれの夢、その第1位を、今まで、そしてこれからの努力でつかみ取っていただけたら皆さんの成長に資することであると確信します。

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【校長ブログ】高校の今後

 先日、大宮ソニックシティで、全国校長研究協議会に参加してまいりました。文部科学省から「これからの学校」といったことで、抑えておくトレンドなどを拝聴しました。

 ①人口減少・少子高齢化②グローバル化③多様性&包摂の重視④デジタル化⑤変化の激しい不確実性の時代⑥人生100年時代というキーワードでした。①について、2050年までには日本国の人口は1億に減少する。②は2067年までに人口の約1割は外国人、企業も、例えばホンダとGoogleが分野を超えて提携していくなどする。③は質の高い教育をどのようにしていくか問題がある。④仮想空間と現実空間の高度な融合が起こり、良き使い手を育てることが急務となる。⑤や⑥に関しては複合的に働く時間が長くなり、マルチステージの時代になってくると言われている。

 そのような中、人間の能力として何が必要なのか?AIとの差異は何か?といったことを考えていかないといけないというお話でした。皆さんが生活していく今後の社会では「みんなと同じことができる」とか「言われたことができる」といった過去の価値観では駄目であって、認知科学的に自分を俯瞰してみる能力を持ち併せないと生活できないようなことが言われております。

 難しいことは難しいですが、今の越高の行事や部活動や勉強に精励することで認知科学的に自分自身を俯瞰してみられるようになると思います。今も体育館から一生懸命に部活動い打ち込んでいる全日制の生徒の姿が見て取れます。定時制は天候不順な中、続々と登校してきて、本日のカリキュラムに向けて準備を整えている姿が見て取れます。

 両課程ともに青春(アオハル)です!

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【校長ブログ】小倉百人一首

 1235年(文暦2年)のこの日、公家・歌人の藤原定家(1162~1241年)によって『小倉百人一首』が完成されたとのことで、記念して今日は小倉百人一首の日とされております。
 藤原定家の日記『明月記』の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首の色紙が、京都・嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられております。この色紙は障子の装飾のために作成されたもので、当時はこの百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれておりました。その後、小倉山の山荘で和歌百首を選んだということから「小倉百人一首」の名称が定着したことになります。

 百人一首とは、100人の歌人の和歌を、1人1首ずつ選んでつくった和歌集のことであります。その後『後撰百人一首』や『源氏百人一首』などもありますが、通常、百人一首といえば『小倉百人一首』を指し、歌がるたとして広く用いられております。ちなみに、藤原定家が選んだ100首の内訳は、恋43、四季32、旅4、別離1、その他20です。

 この百人一首は、たとえば中学や高校では、古典の入門として生徒に『百人一首』を紹介し、これを暗記させることがよくあります。(私も高校合格して、入学式までに全部覚えてくるように命じられました。しかし、合格した喜びで、高校に入学するまで遊びすぎてしまって、ほとんど覚えずに授業に臨みました。)教員になってから、この宿題を高校生に与えるたびに、自分はさぼっていたなと後ろめたい気持ちでおりました。

 自分を棚に上げますが、百人一首は、それぞれが和歌(5・7・5・7・7の31文字)なので暗唱しやすく、また、正月に遊戯として触れることも多いので、なじみがあることから、宿題に出すと何とはなしに、文法事項まで、網羅できるのでとても勉強しがいのあるものであります。また、短い和歌の中に掛詞など様々な修辞技法が用いられ、副詞の呼応などの文法の例も含まれることから、古典の入門として適した教材だと考えられるのです。

 今日からは、又、通常の授業です。全日制では、朝早くから、体育祭の色団の練習も始まってきました。定時制では、本日の夜、後援会の総会が催されます。テストが明け、それぞれの大きなイベント(遠足・体育祭)も終わり、新たなイベントに向かって動いております。

 

 

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【校長ブログ】笑顔と元気

 昨日のブログにも掲載しましたが、今日は全日制では、3学年ともに遠足、定時制は体育祭と越高は行事に燃えております。

 まずは1年次生が学校発、バスにて遠足に向かいました。2人の教頭先生、教務主任の先生とともに、正門で手を振っておりました。バスの窓は危険回避で開けないこととなっておりますので、生徒の皆さんは手を振ってこたえてくださいました。また、携帯電話にプロンプターのように「行ってきまーす」と流してくれた生徒もいたりして「さすが、デジタルネイティブ」の世代だなぁと感心しました。又、生徒の何人かは片手でハート作ってくれまして、我々も片手でハートを作ってお返ししたら、ことのほか喜んでくださったようなやり取りがありまして、無事に出発してまいりました。

 普通に生活していれば、もう孫までいても良いような世代の私とそのようなやり取りをしているという環境は絶対にありませんが、高校という現場では、そのようなやり取りも生まれてまいります。生徒たちの笑顔で私たち教員は本当に元気になれます。ありがとう。生徒の皆さん、そして、参加されている生徒の皆さん、今日は一日、楽しんできてください。

 定時制の生徒の皆さんは、これから体育祭です。純粋な定時制の高校で、グランドで体育祭を実施出来るところは全国でも越高くらいなのではないでしょうか。(調査したことはありませんが・・。)バーチャルな世界ではなく、リアルな高校生活は、こういった暑いですけど実際にグランドで大汗をかきながら「アオハル」を精一杯満喫することが大事ではないでしょうか。

 暑いというのは、天気予報でも「今日は、7月初旬のような暑さとなります。」と出ております。生徒の皆さんも先生方も水分補給を細かく行って、各競技に全力で頑張りましょう!!

 私も紅組の一員だそうです。(Tシャツを用意されておりました)校長の立場としては、一方のみに加担した応援は許されないものと心得ますが、どの色もケガなく、取り組んでまいりましょう。

 

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【校長ブログ】中間考査終了

 最近、出張が立て込んでおり、なかなかこの校長ブログを更新していくことが出来ておりませんでした。越ヶ谷高校全日制は本日までが中間考査です。定時制では先週に中間考査は終了しました。全日制では明日は、各年次ともに遠足、定時制では、グランドを利用しての体育祭となっております。ともに明日の天気が良くなることを祈っております。ただ、暑くなりすぎて熱中症にならないように各個人で対策を練っていていただけますこともお願いしたいところであります。

 さて、昨日は全国高等学校長協会総会でした。色々な高校の研究の発表や文部科学省の行政報告等もありました。私たち、公立高校に携わる者は文部科学省の行政指導、県の教育行政の指導を受けて日々の学校教育を実施しております。(もちろん、越ヶ谷高校の生徒の実態を鑑みながらですけど。)
 一つの学校にいると、自分の学校のことだけを考えてしまいがちであり、それはそれで当然であり、大事な事であるとは思います。しかしながら、国全体のトレンドを理解したうえで自分の所属の高校の来し方行く末を考察していかないことには、継続的な高校の運営は出来ないこともあると心得ます。

 越ヶ谷高校は来年度に100周年を迎えますが、ネクスト100年を考えていくとか、もっと近い未来には2050年には日本の人口は1億人を切るか切らないかというところにまで落ち込むらしいのですが、そうなってしまって高校生が少なくなってしまった日本の中で、越ヶ谷高校はどのように進んでいかなければならないかを考えていくことが大事だと思っております。

 私としては、越高の卒業生となる皆さんが色々な分野で広くご活躍していただいて、越ヶ谷高校の存在価値を地域や埼玉県に知っていただくことも肝要だと考えます。学校現場的には我々、教員の指導、学習内容の精選を一生懸命に行ってまいります。皆さんも、社会人になったら(大学生になったらかもしれませんが)「言われたこと」だけでなく、自ら自律的に自分のスキルを上げていくように図っていくことも考えてください。

 とりあえずは本日まで、テスト勉強お疲れ様でございました。

 

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【校長ブログ】トップガン

 1986年の5月16日にアメリカで上映された『トップガン』という映画の記念日になっているようです。

 映画『トップガン』(原題: Top Gun)は、監督、トニー・スコット、製作はドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマー、脚本はジム・キャッシュとジャック・エップス・ジュニアが務めたものです。主演は、今では『ミッションインポッシブル』シリーズで有名なトム・クルーズです。脇役としてケリー・マクギリス、ヴァル・キルマー、アンソニー・エドワーズ、メグ・ライアンなどがおりまして有名俳優の登竜門になりました。

 トム・クルーズが演じたのは、空母エンタープライズに乗船する若き海軍飛行士ピート・“マーベリック”・ミッチェル大尉という人物で、感覚で戦闘機を操り、最終的には世界平和を守るという文字通りのヒーローでした。

 当初、トム・クルーズはマーヴェリック役を断っていたそうで、そのことを知った海軍はクルーズを基地に招待し、パイロットが受ける様々な訓練を体験させたようです。その結果、クルーズは役を受けることを決めたそうです。この役柄は、当時の若手有名俳優の、マシュー・モディーン、ジョン・キューザック、ニコラス・ケイジ、ジョン・トラボルタ、ショーン・ペン、トム・ハンクスにもオファーの声が掛かっていたようですが、なぜかいずれも断られたとのことです。それ以外にも、ジム・キャリー、ロバート・ダウニー・ジュニアも候補に上がっていたそうです。アイスマン役のヴァル・キルマーも、本作の政治色を理由に一度出演を断ったそうですが、契約上の理由で嫌々出演したとのことです。

 とはいえ、私は大学生でしたが、実に面白い映画で、トム・クルーズが伸長が低い(公には170㎝)ということもあり、親近感が湧きました。いまでも彼はアクション映画にスタントマンを立てずに自ら演じているようで、私よりも年上なのにものすごくストイックに肉体を保持しているのでしょうねと感心します。

 私が、本作を観てマネできたことはMA-1を着られたくらいです。「タッチ&ゴー」という方法も知りましたが、物事を素早くし始めることをこのような言い方をするようになったのもこの映画を知ってからでした。

 皆さんも学生のうちに感動できる映画と出会うのは良いことであると思います。今は勉強や部活動などでお忙しいと思いますが、感性のあるうちに感動する映画も観てみることもお勧めです。

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【校長ブログ】50音図

 5月10日の今日は「50音の日」なのだそうです。「50音=以下、五十音」については、明覚上人(みょうがくしょうにん)が平安時代後期の1093年に山代温泉にて「反音作法」を著し、言葉の音による五十音の研究について記述したそうです。

 このときの配列が現在の五十音図に近いものであることから、山代温泉では五十音図の発祥の地として「今年のにほんごコンテスト」の開催など、「にほんご」や「あいうえお」などに関わる文化的な取り組みを行っている模様で、これらの活動を広く知ってもらい、大切にしたい「ことば」に思いを馳せる機会にしてほしいとの願いが込められているとのことです。

 日本語では、単純母音が5つしかないこと、子音それぞれとの組み合わせがほぼ完全対応であることなどが、仮名および音素を理解する手段として五十音が一番分かりやすいようです。しかしながら、日本語の仮名、音素が文字通り50個である訳ではありません。欠落したり重複したりしている文字・音素があり、また五十音図となると、清音のみを示しますが、他に濁音・半濁音・長音・促音・撥音・拗音、などがあり、発音の総数にいたると100以上あります。

 そもそもは「いろは」というものが日本国では、かなとして流布しておりましたが、五十音から学び始めていた自分としては、突然、中学生になって「いろは・・・」を暗唱しなさいという課題に恐れ戦いた経験があります。暗唱しただけで、何もしなかった思い出ですが、高校生になったら「古文」という教科が登場して、さらに高度なことを学んでいき、「でしたら小学校時代から、いろはで教えてくれればよかったのに・・。」とか「古語辞典であっても五十音順なのに・・。」と感じた次第でした。その後、国語の教員となり、高校生に古文を教えていたのですから、不思議なのものです。

 いまだに五十音で学ぶのといろはで学ぶとにどういった効果があるのか、又は、ないのかが学術的には分からないところが正直なところですが、日本語という一つの言語を学ぶ上でも、五十音からのアプローチやいろはからのアプローチがあり、複眼的に学ぶことで日本文化をマトリックス的に学ぶことに意義があるのかもしれないと仮説を立ててみたことがありました。(大学時代の国語学の教授は当時、新進気鋭の方で「そうじゃないんだよな」とご指導いただきました。)

 私の偏見として、高校国語の教員の王道は「古文の研究」をした人だと思っております。私は、そもそもいろはと五十音の相違について、躓いてしまったため、現代文専攻になったのだと思っています。

 連休明けの一週間、お疲れ様でした。暑かったり寒かったりと体調維持管理が難しい一週間でしたね。出来れば、土曜日、日曜日は体調を戻して、徐々に暑さに慣れていってほしいと思っております。部活動最後の大会にかけていて、休んでいる暇などない!という方は体調を整えて良いパフォーマンスしてください。

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【校長ブログ】1周年記念

 昨年の今日から、このブログを始めましたので今日は「校長ブログ1周年記念」です。昨年の今日「アイスクリームの日」ということで書き始めて、今日までゆるーく日々思うよしなしごとを書き連ねてまいりました。

 凡そ200回くらいは書き連ねているでしょうか。多いような少ないような気がしております。教諭時代には、担任をしていれば、又部活動の顧問という立場では何かしら生徒にお話をしておりましたので、とめどもない話をしていくことについて全く苦ではないのですが、一回だけで聞き流してくれるようなものではなく(書いて残っているものです)表現等々は気になる、というか、誰かの気分を害するような内容ではいけないと思い始めると悩んでしまうことがあります。

 しかし、何かを発信しようと思うなら、もちろんその意見に対してハレーションは起こるものであるし、私的には、普段は生徒の前で意見を言う機会は無くなっているので、越高生や越高を目指してくださっている中学生などにも読んでいただきたいと思い、駄文を綴っております。
 今日は、全日制の生徒総会、そして少林寺拳法部の関東大会出場の壮行会がありました。今日お伝えしたのは、越高の校是には「リーダーの養成」というものがあります。私が考える理想のリーダーとしての条件の一つには「他者を積極的に、素直に応援できること」ということがあります。他者が頑張っていることへリスペクトし応援できることは、ついていきたいリーダーの条件ではないでしょうか。リーダーというと自らが、そのような大きな大会に出場することを必要条件にしがちです。でも、リーダーってほとんど、年齢的にはバリバリと実労働をこなせるものではありません。ですから、一生懸命にやっている若い人たちを応援できる器量を持っていることが良いのではないでしょうか。ということを述べさせてもらいました。

 越高の皆さんにはそのようなマインドを持っていただきたく思います。「リーダーシップとは?」ということも考えた高校生活であってほしいです。皆さんにはそういうことを考えて、お互いに切磋琢磨する時間を過ごし、我々、教員は「越高には、何が求められているのか?」を検討していくことで100周年が迎えられるものと心得ます。

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【校長ブログ】紙飛行機

 今日は「紙飛行機の日」とされているようです。その理由は、井上健史君というダウン症そして白血病という大きなハンデを背負いながら生まれ、2002年(平成14年)5月8日午前5時、満9歳という短い命を終えたことに因んで記念日とされているようです。その短い人生の7年間は闘病生活だったようですが、紙飛行機が大好きで、出会った全ての人を魅了する明るい子供であったと言われていたそうであります。

 さて、紙で玩具をつくることが始まったのは凧を発明した約2000年前の中国だと考えられておりますが、紙飛行機発祥の地を正確に説明することは出来ていないそうです。1859年のイギリスで出版された子供の遊びに関する本には「PAPER DART(1枚の紙を折って作り、的を狙ったり、男の子が戦争ごっこで投げ合う玩具)」の記事が残っていて、ここに折り紙飛行機が普遍的な玩具であったことを示しているとのことです。

 紙飛行機とはいえ、やはり凝る人は世界中に存在しているようでして、速度・揚力・型といった面で長い年月をかけて改善され続けてきているようです。

 屋内での滑走記録は、2012年2月26日、元アメリカンフットボール選手のアメリカ人ジョー・エイブが、アメリカ合衆国カリフォルニア州にあるマクレラン空軍基地の屋内環境(無風環境)にて、A4判の紙を切らずに作った紙飛行機を用いて69.1388m の飛行距離を叩き出し、ギネス世界記録を更新したそうです。

 日本では、日本折り紙ヒコーキ協会(現 折り紙ヒコーキ協会)の戸田拓夫会長が、広島県福山市にある広島県立ふくやま産業交流館(ビッグ・ローズ)の屋内環境(無風環境)にて、A5判のサトウキビ加工紙を切らずに作った紙飛行機を用いて飛行滞空時間27秒9を叩き出し、滞空時間ギネス世界記録を更新したそうです。

 滞空時間や距離にこだわる方がいる一方、一昔前にAKB48「365日の紙飛行機」の曲では「人生は紙飛行機、願いのせて飛んでいくよ。・・・その距離を競うより、どう飛んだか、どこを飛んだのか それが一番大切なんだ・・。」という歌詞があります。私も最近はこういう感覚でいることが多いです。その理由は、残念ですが、井上少年のような短い人生もあります。稚拙な表現ではありますが、越高生の皆さんには健康で長生きをしていただき、「どう生きるのか、どういう場所で生きるのか」を大切に考えながら人生を充実させていってほしいと願うからであります。

 そういえば、昨夜は、定時制では「生徒総会」でした。それぞれの部活動が昨年度の活動を振り返り、今年度の予算を計上、承認させていきました。全日制では昨日から面談週間です。それぞれの生き方を謳歌していってますね。頼もしいかぎりです。

 今日も雨模様ですが、気持ちは前向きに整えてまいりましょう。

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